小舟の行方
2017.09.17 (Sun)
京都の五月を楽しんでいます。
叔母さんのことで、高校大学と暮らしていた京都にいます。
毎日、入院している叔母さんの病院に行って、身の回りのものを届けたり、
お話し相手になったり。
永く高校の校長先生をしてて、今、神戸の大学で講師をしている叔父さんは、
講義の関係で、週の後半は大学の宿舎に泊まるので、それほど、手は掛からないんです。
子どものいない叔母さんのところで、高校時代、実の娘のように暮らしていた私、
その時、お世話になった分、孝行しているつもりです。
五月の京都は、散策するのには良い気候ですよ。
今日は、お見舞いの後、ひとり叡山電鉄に揺られて、
貴船神社付近の新緑を楽しんできました。
和泉式部が、こころの離れてしまった夫との、復縁を果たしたことから、
縁結びの神様として、人気ありますよね。
昨夜、幾らか雨が降ったお蔭でしょうか、新緑のもみじの間を吹き抜ける、
気持ちの良い緑風を、東屋で楽しみ佇んでいたら、
あらっ 電話だわ。
やだぁ Tさん。
どうしようかなぁって、ちょっとだけ、慌てました。
夫ではない男の人からの電話。
でも、もう、何度も身体を繋ぎあった時間を過ごし、
その男の人のしるし、
幾度となく、注ぎ入れられたことのある人だから。
知らない振りするの、それは、やっぱりできるはずもなくて。
他人ではなくなるって、やっぱり、こんなことなんだろうなって、
そう、思います。
「明日、そっちで逢えるよね」
「駄目よ、ふたりだけで逢うなんて」
「もう、話してあるから」
Tさんが、ひとりで京都にいる私と、ふたりだけで逢いたと言ってるって、
暫く前、夫婦の営みの中で、夫に言われてました。
でも、断ってほしいって、そう、言ったはずなのに。
ふたりが逢えば、もしかしたら、また、あってはならない時間が流れてしまうって、
夫も、分かっているはずなのに。
けれど、彼の微かな息遣いを聞きながら、
明日から、叔父さん、いつものように神戸に行くって言ってたし、
叔母さんのお見舞いも、午後には終わるわって、
逢ってはいけない人から求められた時間、工面していた自分に気付いて、
私自身が、驚いていたのです。
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