六条通りから1
2021.04.12 (Mon)
「ほらっ、これもいいでしょ」
「えぇ、色が素敵だわ」
「そうでしょ、順ちゃんの年の頃に、
ほらっ、八坂さんの通りの「むら田」で買ってもらったのよ」
「派手過ぎず、それでいて、落ちおちつぎすぎないでいいよね」
「順ちゃんの歳だったら、このくらい明るくていいのよ」
そう言うと叔母さん、手に広げていた訪問着、膝を進めて、私の肩に掛けたのでした。
二か月に一度程度、京都の叔母さんのところに行っています。
コロナのことも心配だけど、いろいろとお手伝いすることもあるし、
京都に住んでいる、娘たちのこともあって、出掛けているんですよ。
叔父さんは、公立の学校の校長を退職した後、大阪の大学に講師として勤めていて、
週のうち、数日は大学の職員用宿泊施設に、お泊りしています。
今日も、叔母さんの前に病気したところの定期健診と、
区役所にもちょっと用があって、二人で行ってきました。
あぁ、それから、八坂さんの前、東大路通り沿いにある亀谷清水さんの、
「お団」と言われる和菓子も買ってきましたよ。
千年の古から、その姿を変えていないと言われるお菓子です。
皆さんも一度、食べてみられてはいかがでしょうか。
「旦那さんと、上手くいってるの?」
「どうして。えぇ、おかげ様で、仲良くやってるわ」
でも、少し慌ててしまったこと、知られたでしょうか、
そんな私のこと、もう一度見ながら、叔母さん、こう言ったんです。
「そう、だったら、良いけど」
でも、叔母さんには、何もかもお見通しなのかもしれないわ。
確かに、夫とは仲良く暮らしてはいるものの、
その夫ではない、何人もの男の人たちと、
人には話せないようなふしだらな関係を続けていること。
大学を卒業するころの私は、
京都にある母校の付属高校の国語教師として、内定をもらってはいたものの、
M先生や、何人もの男の人に、ただ、精液のはけ口として抱かれ、
女として、ただれるような悦びをしっかりと教えられていた私、
それまでとは、明らかに派手になりはじめていたお化粧や下着、
そして、男の人を求める、男の人から求められる身体に染められていて、
そんな風に変わっていく私のことを察した叔母さんが、私の父親に相談したらしいんです。
「順子ちゃんは、親元で過ごして、早く、嫁がせた方がいいわ」
確かに、男の人の味をしっかりと教えられてしまい、それを求める身体の疼きにさいなまれ、
自分自身の女の身体を、その頃の私、自分ではどうしようもなかったこと、
間違いのないことだったんでしょうね。
「今度、旦那さんと車で来た時に、それ持って帰っていいわよ。
あぁ、帯留めや小物もたくさんあるから、好きなの選んでおくといいわ」
叔母さん、そう言うと、着物に目を移したのでした。
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