駅
2015.04.03 (Fri)
中学時代に親しくしていた友達から電話があり、
私も良く知っている妹さんに、
三人目のお嬢さんが産まれたとのことだったので、お祝いに行ってきました。
ご馳走するからって言われてたんで、久し振りに電車で行ってきたんですよ。
三人目と言うこともあって、妹さんも子育てに慣れた様子。
上の子どもさんたちと一緒で、お母さん似で本当に可愛らしいんですよ。
赤ちゃん、胸元に抱いて、おっぱいあげているの見ていると、
私も昔のこと、思い出しました。
胸がおっきい人、お乳は心配って聞いてたんですけど、
幸い、沢山出て、二人の子どもたち、母乳で育てること出来ました。
家にあったミルクって、試供品でいただいた小さな缶、ひとつだけだったんです。
それも、とうとう、開けることなかったんですよ。
そんな頃、赤ちゃんの泣き声が聞こえると、自然とおっぱいが張って困りました。
パパにも、お願いして、時々飲んでもらってはいたんですが、
赤ちゃんの吸い方と違って、ちょっと強すぎるし、
それに、舌やくちびる使って、いろいろされちゃって、
私の方が我慢できなくなり、そのまま、母乳が吹き出すおっぱいにタオルあてながら、
リビングで抱かれちゃうこと、結構、ありましたね。ふふ。
赤ちゃんが寝ている間に、
近くのお寿司屋さんから届いた、贅沢なお料理、
ちょっと、お酒も頂いて、昼下がりの淡い日差しの射すリビング、
楽しいお話いっぱいしました。
友達も妹さんも、それぞれの旦那様と幸せな家庭築いているみたいで、
本当に、良かったです。
駅まで送ってもらい特急に乗り込むと、
窓際の席に腰を下ろしました。
気付くと、生憎の細い雨が、窓を濡らし始めてました。
日頃は、パパの自動車で移動すること多いけど、
本当は、電車の旅、とっても好きですよ。
別に鉄道ファンじゃないけど、いいですよねぇ、列車の旅。
そんな時間しばらく楽しんでると、
残りいくつか駅のホームに、私を乗せた電車滑り込みました。
あら、見覚えのあるレインコート。
黄昏の人ごみの中に、それを見つけた私、思わず胸を震わせました。
早い足取り、背の高いスマートな装い、
それは、まぎれもなく、昔、身体を繋ぎ合った、そう、あの人だったのです。
私に気付くかしら。
彼の姿、一度視線の後ろに流れ去りましたが、
発車のベルが鳴り終わり、電車が動き始めていくらもしないうちに、
後ろのドアから入ってきた彼が、私のすぐ横の通路を歩き去り、
三列ほど前の通路側の席に腰を下ろしたんです。
シートの間から、間違いのない端正な顔が伺えました。
けれど、懐かしさの一歩手前で、こみ上げてきたあの頃の思い出。
人妻でありながら、
思いもかけず彼の男の人のもの、始めての女性として、自分の身体に迎えた夜。
テーブルマナーや、ジャケットの柄の選び方を教えたように、
私が年上の女性として、リードするつもりだった男女の営みのこと。
そんな人に言えない夜を重ねるうちに、
いつのまにか、その若さと激しさに翻弄され、
彼のこと、どうしようもなく、忘れられない身体にさせられていたのでした。
唾液を啜り合い、悦びを告げる恥ずかしい声を聞かせたわね。
隙間のないほど彼のもので繋がりあった私の身体の奥に、
あなたの温かい男の人の液、あんなに何度も注いでくれた。
身体が少しでも離れることが嫌で、
両腕と太ももであなたの身体をいつまでも抱きしめていたわ。
けれど、二人が付き合いだして半年ほど経った頃、結婚をして父親になった彼。
それまでのように、身体を繋ぎ合う時間はだんだんとなくなってきて、
私は、彼と逢う前と同じように、
主人からだけ愛されることを求める人妻に、少しずつ戻っていったのです。
シートの間から見える彼の横顔を、溢れそうな涙を我慢しながら見つめていました。
あなたに逢えなくなった今も、
その時のこと、忘れることできないままに暮らしていること、
さりげなく、告げたかったのに。
あれから、随分と永い時間が流れました。
変わったのは、俯いた彼の眼差しと、あの頃より少しだけ伸ばした私のこの髪。
今は、それぞれの待つ人のもとへ、こうして戻って行くのね。
規則正しく続く電車の振動を、そんな風にして、感じていたのです。
暫くすると、彼と私の降りる、終点の駅に着きました。
彼は、とうとう私に気付くことなく立ち上がると、
そのまま振り返ることもしないで、電車の前のドアに向かって歩き出したんです。
彼の姿がそのドアの向こう側に消えたのを見て、
私もゆっくりと立ち上がりました。
ホームに降りて、彼の後姿を探すと、人ごみの中にそれを見つけることができました。
きっと、彼、幸せな生活だろうけど、
そんな後姿、今の私には、やっぱり、ひどく哀しく見えたのです。
改札口を抜けたころには、彼のその後ろ姿も、人々たちの背中の中に紛れてしまい、
それまで降っていた小雨がやみかけた頃には、
いつものありふれた夜が、この街をゆっくりと包み抱こうとしていたのでした。
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