小舟の行方 5
2017.10.20 (Fri)
「ごめんね、さっきは」
彼らしくなく、強引に私の手を引いたこと、
彼自身も、本意ではなかったのかもしれません。
何も応えないで、自動車の窓の外を流れ去る、京都の街並み眺めていましたが、
あぁ、嵐山に行くのかしら、きっと、新緑が綺麗でしょうね。
京都駅から30分ほど走った後、桂川を渡り、
道の両脇に見えるよく手入れされ数本の松を過ぎたところで、
渡月橋の際から狭い道に入っていきました。
あらっ ここには来たことはないわ、何があるのかしら。
自動車から降りると、まぁ、船着場には、可愛らしい木製の小舟が。
手を引かれるままに乗り込んで腰を下ろし、暫くすると、
ふたりだけを乗せた小さな舟、ゆっくりと桂川を川上に向かって進み始めました。
彼の温かさを感じるほど、ふたり並んで川沿いのみどりを楽しみましたが、
春先の桜や、紅葉の季節も、きっと素晴らしい景色だと思われましたよ。
船頭さんは、前を向いてるから大丈夫だからでしょうか、
そっと、私の手に重なってきた彼の手のひら、
故郷を離れ、そこに住む大切な夫の元を離れ、そして、住み慣れたこの街からさえも、
せせらぎの音を聞かせてくれる、この流れの隔たりによって、
いつもではない時間の中に、誘われていたのかもしれません。
そして、それと同時に、いけないことだとは分かっているはずなのに、
こころの中にゆっくりと入り込んできた彼のこと、
だんだんと、許し始めていたのでしょうか。
それが、間違いないことのように、
重ねられていた彼の手、自分からそっと、握り返してしまっていたのでした。
白い岩から張り出した、濃い木々の枝が、
穏やかな緑色の川面に、くっきりと蔭を落としているのを、
うっとりと眺めていたんです。
20分程で木製の船着場に到着。
降りる前になって思い出したんですが、
あぁ、ここって、話題になっていたリゾート施設なんですね。
船着場から、緩やかな石畳の坂道を登っていくと、
日本家屋風に作られた建物がフロントになっていて、
館内の木目を活かした設えも、落ち着いていて、風情がありましたよ。
端から見たら、仲の良い夫婦のように見えたのでしょうね、
「素敵なところですね」って、館内を見上げながら言ったら、
「ありがとうございます。
奥様のようなお綺麗な方に、そう言っていただくと、励みになります」だって。
まさか、奥様と呼ばれた私が、
隣でレジカードを書いている、本当は夫ではない男の人に身体を開く夜を過ごすなんて、
きっと、思ってもいなかったんでしょうね。
| HOME |